鉄筋コンクリートの寿命・改修保存と建替復元ー関東学院中学校旧本館

関東学院中学校旧本館

写真:完成時期の旧本館の外観—校歌4番「うるわしの我らが城」である

関東学院中学校旧本館

私立関東学院中学校高等学校は、横浜の中心街を取り囲む丘の西北部に当たる斜面地にある、キリスト教精神に基づく中高一貫教育の私立学校です。私 北島俊嗣も中学校高等学校の6年間を、この関東学院で学びました。

当地で1919年(大正8年)「私立中学関東学院」が設立しますが、1923年(大正12年)関東大震災で校地内の全施設が損壊してしまいます。とりわけ2階建て鉄筋コンクリート造校舎の損壊は、関係者にとって大きな打撃となったようです。

震災6年後の1929年(昭和4年)に写真の「本館(現在は新本館が完成したため『旧本館』と呼ばれています)」が再建されました。設計者はアメリカ人のJ.H.モーガン。横浜では根岸の競馬場や外人墓地の入口ゲートなどを設計し、日本ではミッション系スクールの建築設計を手掛けています。

『旧本館』は、地下1階地上4階建てで、塔のある部分が4階、左の教室部分が2階建てでした。後の昭和33年に教室部分は3階建てへと増築されて今の形になります。構造は鉄骨鉄筋コンクリート。先年の大震災で損壊してしまった鉄筋コンクリート造への思いも連なり、鉄骨を挿れてまで安全を確保しようという考えがあったのかもしれません。

関東学院中学校旧本館

写真:玄関ホール:水船六州先生作レリーフ「光あれ」(現在は新本館に移設展示されている)
「人になれ 奉仕せよ」は関東学院の校訓

鉄筋コンクリート造の歴史

1860年代にフランスで実用化され、水槽や植木鉢に用いられ始めたのを起源にして、その後橋や建物に利用されていきます。日本に輸入されたのが明治初頭で、海の岸壁や橋に用いられ始めます。その後の明治後期に建物にも利用が始められ、1923年(大正12年)の関東大震災で耐震性、耐火性が認められ、その後多方面で利用されることになります。日本における鉄筋コンクリートの歴史は、未だ100年そこそこということです。

鉄筋コンクリート造の性質

セメントと砂利と水とを混ぜて数時間経つとカチカチに堅く固まります。これは押される力(圧縮される力)にはとても強く、威力を発揮します。しかしながらこれを引っ張ると弱い力でも脆く引き離されてしまいます。この引っ張りに弱い性質を補うために、中に引っ張られても引き離されない材料=鉄の棒状の材料を組み入れて、圧縮にも引張りにも強いものとして発明され、その後発展活用されたのです。

コンクリートの寿命・87歳のコンクリート

鉄筋コンクリート造の寿命は、コンクリート部分の強度(圧縮に耐える強度)と鉄筋が錆びずにコンクリートで保護されているか(引張りに耐える強度)が健全になっているかで決まります。どちらか一方でも強度が不足すると、その鉄筋コンクリートは寿命を迎えたと言わざるを得ません。

圧縮に耐えるコンクリートは、その圧縮強度が10~14N/mm2で耐用方針(利用を止めて壊すかどうか)を決定しないといけないとされています。数値に幅があるのは、建設された際のコンクリート圧縮強度等の状況により判断されます。建設された際の強度の1/3を下回ると、コンクリートは自重によって崩落すると言われています。一方鉄筋はアルカリ性のコンクリートに囲われていて、コンクリートが酸性になったり、水の侵入がなく錆びていなければ大丈夫です。

コンクリートが酸性になることを防ぐ方法は、現在幾つか方法が確立されているので、鉄筋が酸性化して錆びて膨張し、コンクリートを中から破壊してしまうことを防げるようにはなっています。しかし、コンクリートの強度を回復させる方法は未だ確立していません。

旧本館のコンクリートは、その強度の限界数値に近いかもしくは下回っていることが確認できたと思われ、健全な施設として利用継続を断念し解体を選ばざるを得なかったと推測します。

下の写真は建物のコンクリート強度を検査するために、構造体サンプルを抜き取った後と思われます。丸く灰色になった部分で、コア抜きと呼ばれていています。この試験体を破壊検査等をすることにより、構造体の現状を診断します。

関東学院中学校旧本館

建物としてコンクリート強度が不足したことで取り壊されるのは、余り例を見ません。建物が建て替えられる理由は、建物の使い方が変わったり、空調や水回りの設備が新しい方式に変わりたくとも変われなくて更新せざるを得ない、ということがほとんどです。コンクリートが日本で活用され始めて約100年、今後新たに迎える課題になることでしょう。

耐震補強改修の意味

建物の安全性を見る視点で一番課題となるものは、地震に対する強さ=耐震強度でしょう。1981年(昭和56年)に建築基準法が改正されて、耐震性に関わる構造設計指針が大きく改定強化されました。このためにこの年を境いに以前に建てられたものは「旧耐震」と呼ばれ、以後に建てられたものは「新耐震」と呼ばれています。昭和56年以後の「新耐震」基準で建てられたものは、阪神淡路大震災、東日本大震災で倒壊したという例はありません。そこで「旧耐震」基準で建てられたものは耐震診断と耐震設計を行って、補強改修工事が急がされています。ただしこの耐震補強改修工事が有効なのは、建てられてからまだ30年~40年で、コンクリート強度が未だ健全な状態である建物です。コンクリート強度が低下した建物にいくら補強改修を行っても、建物本体の強度と耐震性は向上できないのです。

耐震改修保存か、建替え復元保存か

旧本館の建物を耐震改修保存するか、建替え復元保存するかの方針が中々定まらなかったのは、コンクリート強度の減少について未だその時代に差し掛かっていなかったことの不理解と、旧本館も耐震改修による補強が有効であると思ってしまった勘違いかがその理由だと思われます。

また「旧耐震」の建物の耐震診断をする際に、その建物の構造的耐震設計内容が「新耐震」と較べてどのようなレベルにあるかを判断する値=Is値(耐震指標)があります。旧本館は鉄筋コンクリート造でなく鉄骨鉄筋コンクリート造で、鉄骨も挿入されているため、このIs値は高くなったことでしょう。これは言わば建物の元々の構造内容は耐震性に優れていることと判断出来てしまったために、未だ大丈夫と思ってしまったことなのかも知れません。

骨も筋肉も健全な肉体であるならば、運動や鍛錬を重ねて筋肉強化を行なえば体力増強となりますが、骨も筋肉も衰弱した肉体に、どんなに運動や鍛錬をしても体力増強にはならないのと一緒です。

コンクリート建物の寿命と今後迎える課題

我が国日本が明治維新を経て、近代化を始めて約150年。建築も西欧の生活様式や技術様式を導入して、一部では大きな変化をして来ました。

建築構造の視点のみで言うならば、西欧で発明された鉄筋コンクリート造が輸入され、地震国日本で幾度もの大地震を経験しながら、建築と生命の財産を安全に確保しようと、独自と云ってもよい発展を遂げて来ています。

地震をはじめとする天災に対する安全性を、構造設計基準においても、工事施工の技術水準でも向上し保有していることは、先人の努力の賜物です。

そこで私達は、人の命に限りがあるように、コンクリート建物の寿命にも限りがあることを、我が母校学び舎「旧本館」が直面した課題を通じて学ぼうとしています。

先人からいただいた今ある貴重な財産の性質を良く理解し、単なるノスタルジックな想いで今ある物にしがみついたり課題を先送りにしたりせず、歴史と伝統を断絶することなく後世に伝えて行くことが出来ることに感謝して、新たな課題への解決を模索して行かなければならないと感じています。

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