次女の卒業式出席
中学3年生になった次女は、岐阜県瑞浪市にある「麗澤瑞浪中学校」にご厄介になっておりました。入学して3年の月日が立ち、中学校を卒業させていただけることになりました。同時に上の長女も高校を卒業させていただけることになりました。
双方の卒業式が3月で同日となり、両方へ参ることは学校の場所が遠く離れているので困難なので、長女の卒業式には同じ高等学校の卒業生でもある母(妻)が、次女の瑞浪へは私が参ることになりました。
卒業式には前日から謝恩の会などの催しがあり、日帰りという訳には行かず、前日から一泊二日のスケジュールになりました。
そこで何かこの機に参れるところはないかと思案していると、伊勢神宮へ参りたくとも中々行けなかったため、前後のどちらかで参拝しようと決めました。
夜行バス
スケジュールと、横浜 → 伊勢 → 瑞浪 の行程を考えると、横浜 → 夜行バス → 伊勢神宮参拝 → 電車 → 瑞浪 が、一人旅には気ままで良いと分かり、卒業式の前々日の夜にバスに乗り、横浜駅のYCATを発車しました。
バスの寝心地は、50歳の巨体には優しくありませんでしたが、朝陽が差し込むカーテンの隙間からみる伊勢の街並みにおける住宅は、切妻の屋根の重なりを巧みに合わせた優しい日本住宅が建ち並んでいました。夜行バスは「伊勢市駅」に早朝に到着し、そのまま伊勢神宮に参拝です。
伊勢市駅から外宮へ
伊勢神宮は「豊受大神宮(外宮(げくう))」と「皇大神宮(内宮(ないくう))」に分かれています。到着した伊勢市駅から商店街の参道を歩くと5分で外宮に到着し、外宮から内宮までは車で5分くらい走る距離があり離れています。
朝8時前の外宮への商店街参道は、店舗も全て閉まっていて、人通りも少なく、静けさの表参道を通りました。
伊勢神宮とは?(引用)
伊勢神宮は内宮(皇大神宮)と外宮(豊受大神宮)を中心に125の宮社からなります。内宮は皇室の御祖先であり、太陽にもたとえられる天照大御神をお祀つりし、外宮は天照大御神のお食事を司り、産業の守り神である豊受大御神をお祀つりしています。内宮は約2000年、外宮は約1500年の歴史があります。
外宮(げくう)
手水舎
誰かの話し声を聞くわけでももなく、障りもなく、拍子抜けした感じで手水舎に着き、清め、鳥居を潜りました。
鳥居
日本の神社には様々なカタチ様式の鳥居があります。
起源は様々あるようですが、単に木と木を縄で結んだものが鳥居の起源であると考えられています。8世紀頃に現在のようなカタチが成立したと言われています。
「鳥居」の語源にも様々な説があり、主要な説として、天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から誘い出すために鳴かせた「常世の長鳴鳥(とこよのながなきどり)」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を置いたことが起源であるとする説が有力です。
全ての鳥居には、お榊が掲げお供えされていました。
古殿地と式年遷宮
「式年遷宮」という方式を正に表しています。正宮の隣地に同じ大きさの空き地があります。次回に宮が移る場所です。
式年遷宮とは?
以下「伊勢神宮」ホームページより引用
式年遷宮の「式年」とは定められ年を、「遷宮」とは宮を遷すことを意味します。式年遷宮は20年に一度、東と西に並ぶ宮地(みやどころ)を改めて、古例のままにご社殿や御装束神宝(おんしょうぞくしんぽう)をはじめ全てを新しくして、大御神にお遷りいただくお祭りです。
この制度は約1300年前、天武(てんむ)天皇のご発意により始まり、持統(じとう)天皇4年(690)に第1回が行われ、平成25年には62回目の遷宮が行われました。内宮外宮の正宮を始め14所の別宮や宇治橋なども造り替えられる式年遷宮は、「皇家第一の重事、神宮無双の大営」とも讃えられる日本で最大最高のお祭りです。
20年ごとに式年遷宮を行うことは、『皇太神宮儀式帳(こうたいじんぐうぎしきちょう)』に「常に二十箇年を限りて一度、新宮に遷し奉る」、『延喜太神宮式(えんぎだいじんぐうしき)』に「凡(おおよそ)太神宮は廿年(はたとせ)に一度(ひとたび)、正殿宝殿及び外幣殿を造り替えよ」と記載があります。しかし、その理由についてはいずれの書籍にも記載がなく、これまで様々な理由が推定されてきました。
結果的にみると、20年ごとに行われてきたことが、唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)という建築技術や御装束神宝などの調度品を現在に伝えることができ、今でもいつでも新しく、いつまでも変わらない姿を望むことができます。これにより神と人、そして国家に永遠を目指したと考えられます。
以上、引用終わり
今 建立されている宮の隣りには同じ広さの空き地=古殿地(遷宮後、社殿が建っていた旧土地は、おおよそ6ヶ月は「古殿地」と呼称され、6ヶ月を経過すれば、今度は呼び方が変わり、「新御敷地(しんみしきち)」と呼称されます)があります。
古殿地は白と黒の玉石が敷き詰められていて、奥には小さな小屋が建っています。この小屋の場所には以前の御所殿があった場所とされています。
正宮(豊受大神宮)
四方に板塀が巡らされ、板塀の真ん中が四方各々開けられていて、その外側には板塀が自立しています。板塀が開けられたところから入ります。
神社にある造作の全ては、曲がらない一片の部材(すべて一文字で、L字とか くの字に 曲げられていないカタチ)が組み合わされて出来ています。
材料の加工技術として明快で単純な方法が選ばれているからと思われますが、この構成方法が木材を基本に建物を組み立てていく日本の古来の構成方法と言えるのではないかと思います。
同じ材料は交差する部分では、意図的に双方を交錯・突き抜けさせて、敢えて曲がらない一片の部材であることが強調されています。
また数多ある宮の形はほぼ同様と見えますが、建物の大きさによって造作の加工表現が異なるものがあります。
木材の小口(木を直角に切断した面・切り口)の加工で、特に屋根の棟に並べられた鰹木(かつおぎ 勝男木 と書く場合もある)の棒の切断面のカバーが異なります。
- そのままの切放し・・・比較的小規模な宮
- 白色塗装・・・・・・・中規模の宮、部材として大きな材料や床板
- 金色の金属板・・・・・正宮や大きな宮
この木の切断面にフタをすることは、木が水によって傷むことを防いでいます。
木は育っているとき、垂直に立ち水分を根から吸収して幹を通じて葉に渡らせ光合成を行います。
伐採され材木となった幹の部分は、乾燥させられた後でもこの水分を通す作用は残っていて、材木に雨が降ると切断面からは雨水が吸い上げられて材木の中に浸透します。浸透した雨水は停滞して乾燥しないので、材木を腐らせる作用に働き、材木を傷め朽ちさせてしまいます。
この水分の浸透を防ぐために材木の切断面にフタがされたり、白色の塗装が施されています。20年に一度建て替えられる建物であっても、木の習性を熟知して造作を施している知識と技術には驚かせられます。
別宮
正宮の南側にある池を挟んだ南側に別宮があります。別宮は正宮の建物と見た目はほぼ同じ形式で、近い距離でその姿を見ることが出来ます。
宮の扉には黒色の金物が装飾的に散りばめられています。宮毎に異なります。何の意味があるのでしょうか?
また別宮はそれぞれ森の中に点在していて、たどり着く道行きに様々な魅力的なものがあります。どれも素朴に造ってあるように見えますが、伊勢神宮の一貫した造りの様式に従って造られています。造る技術は非常に高い技術なのですが、それを感じさせない素朴さが感じ取れます。
内宮正宮の階段
側溝
手摺
柵
内宮
外宮の参拝を終えて、時間短縮の関係でタクシーで移動し、内宮に移動しました。
宇治橋
五十鈴川を渡る橋は中央分離帯があって、右側を進みます。橋自体は太鼓橋でアップダウンがありますが、勾配を感じるほどではなく、木の床を進みます。
五十鈴川と御手洗場
五十鈴川のほとりに水面に触れられる場所があります。手水舎と同じお清めができます。
正宮(皇大神宮)
内宮と外宮の正殿をはじめとする建築は、その造られ方の違いは見比べないと分かりませんが違いがあります。
- 木造の組み方の違い:柱の上に載せる横架材(桁と梁)のどちらを先に載せるか?の違い
- 鰹木の本数:屋根の頂上にある「甍覆(いらかおおい)」の棟押えに用いられた補強材ですが、実質は装飾的なものです。内宮は10本(偶数)で、外宮は9本(奇数)です。日本の神社では本数が偶数の場合は女神を祀っていることを示し、奇数の場合は男神を祀っていることを示すといわれています(伊勢神宮は内宮外宮ともに女神です)
- 千木の先端の形:屋根を支える斜材(垂木たるき)の端部材を上空に向かって伸ばした材の先端を、内宮は内削(うちそぎ)(水平)に切り、外宮は外削(そとそぎ)(垂直)に切り落としています。日本の神社では男神の社は千木を外削ぎ(先端を地面に対して垂直に削る)に、女神の社は内削ぎ(水平に削る)にしている場合が多いです
日本の建築様式
伊勢神宮の建築様式は、唯一神明造(ゆいいつしんめいづくり)と呼ばれます。
唯一神明造は、日本古来の建築様式と伝えられ、ヒノキの素木(しらき)を用い、切妻(きりつま)、平入(ひらいり)の高床式の穀倉(こくそう)の形式から宮殿形式に発展したものです。
屋根は萱葺(かやぶき)、柱は掘立(ほったて)で、材料を曲げたり繋げたりしない明快な架構方式と言えます。
大陸から輸入された仏教建築の技術様式や、近代に輸入された古典洋風建築様式と近代建築様式とは異なる様式方式と思えます。
日本とその他を比べると、
- 素材の違い:木と石・土の違い
- 構造方式の違い:柱梁と組積の違い
- 造り方の違い:一片状材と連続状材の違い
- 環境の違い:高温多湿と低温乾燥の違い
が挙げられます。
現代では、材料や工法の画一化と設備の充実により、どのような場所でも自由な建築が可能になりましたが、上記の素材・構造・造り方・環境の違いの上に醸造された意匠美意識の違いは未だ歴然と好みがあり、個性を形作っています。
追記:令和元年参拝
令和元年10月に再び参拝させていただくことが出来ました。台風19号が去った直後だったため、五十鈴川の水位も高く水面も濁っていました。
建築家の日記
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