関東学院マーチングバンドOBOG会

学生時代のクラブ活動

横浜の繁華街(吉田新田一帯)の南東側と北西側を挟む様にせり上がる2つの丘の北西側に 関東学院高等学校があります。 中高一貫教育のキリスト教(プロテスタント)の私立学校で、2019年に創立100周年を迎えました。

私 北島俊嗣は中高をこちらに通いお世話になりました。週に2回あった朝の礼拝(讃美歌を歌い 聖書を読み 牧師先生の説教をいただき 祈る)時間も、今になってその有り難みを知るところです。 その6年間の学生時代、私は通称「ブラバン」のブラスバンド部(吹奏楽部)に在籍しました。入部の動機はミー ハーな心づかいからです。

マーチングバンドのコンテスト

当時から「ブラバン」は沢山の部員で活動していて、中学一年生から高校三年生までを含めると100人を優に越す大所帯で、学院の中でも一番多人数のクラブでした。

ブラスバンド部と言ってもその活動の中心は外部で演奏演技するマーチングバンドがほとんどで、揃いのユニフォー ムに各々楽器を持ち、街中を行進したり、広場で演奏演技を繰り広げたりしました。

マーチングバンドの良い面は、スポーツ競技の様に男女の別が無く、人数の規定が無いので、余程の事情がない限り 部員全員が参加できる(補欠がない)ことです。楽器が出来る出来ない、上手い下手に関係なく、練習をすれば皆で一緒にハレの舞台に立てるところだと思います。

その関東学院マーチングバンドは、全日本マーチングバンド連盟が主催する大会に毎年出場していて、神奈川県大会、関東地方大会、全国大会と出場して、最優秀賞は逃すものの、常に高い成績を収めていました。

高校2年生の時の全国大会1曲目の映像です(1986年1月@日本武道館)

OBOG会

全国大会で最優秀賞をいただくための日々の練習は過酷で、文化部の分類のクラブでも、軍隊ではないかと思わせ るような試練の毎日でした。練習は学校の試験のある日程を除いてほぼ毎日あり、休日は当時の好景気も相まって様々な催事に招かれて演奏演技 を披露していました。

同じ目標に向かって日々練習を重ね、さらに中高一貫学校により、長く同じ時間を共有する先輩同輩後輩は自然と多人数になりました。

学院卒業後、学校生活から離れて久しくなったとき、同クラブのOBOG会があると聞き誘われて参加すると、学生時代の面影が変わらない面々に会うことが出来ました。

学生現役時代には言葉を交わすのも憚った先輩と楽しく会話が出来、後輩からは忘れもしない罵声を浴びたと笑顔で叱られ、長く辛かったクラブ活動は良き思い出と変わり、会えば昔話しだけで時間の流れを忘れさせてくれます。遠い日の記憶は瞬く間に蘇り、そこは学院の中庭で運動着に楽器を持って練習を重ねる時空に移されます。

楽器を吹く

OBOG会の催事として、現役当時の譜面を演奏する企画を用意してくださいました。一人でも楽器を吹くことは出来ますが、多人数で合奏することは簡単ではありません。大変有り難い企画で、参加できるときにはいつも参加させていた だいています。

特に私の楽器はメロディ旋律を吹く訳ではなく、例え遠慮がちに吹いてもその音量は見知らぬ人には騒音のレベルで、一人で吹くのはままならないのです。

楽器は大きくケースに入れるとさらに大きいので移動はハダカです

事前練習

OBOG会開催の数ヶ月前から練習場所が確保され、集まって練習させてくれます。 現役時代に演奏した曲は飽きるまで練習したせいか記憶が定かで、音符も楽器を操る指も詰まることなく動きます。

ただ、歳を重ねた身体の衰えから、当時は長く吹き続けられた吸った息は、今では1小節(4拍)程度しか保たず、 曲が止まればゼイゼイと息が上がる身体になっている現実があります。

年に一度のパーティー

年に一度、OBOG会は開催され、数曲が演奏されます。会場には関東学院マーチングバンドのOBOGの老若男女が集まり、昔の曲の演奏を聴いてくれます。演奏が始まれば大音響で、マーチングバンドの関係者でなかったら大騒音で、子ども達は耳を押さえてもがいていますが、大人はニ コニコしながら聴いています。

!音量が大きいので注意してください

演奏が終われば当時の思い出を年代を超えて語り合い、学生時代に戻ったひと時を過ごしました。

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