師への恩返し
2017年4月より日本大学の非常勤講師として建築設計製図の授業の教鞭を取らせていただくことになりました。
授業は日本大学短期大学部 建築・生活デザイン学科 2年生の設計製図「建築デザインスタジオII・Ⅲ」で、火曜日一日の授業です。
私自身の出身大学は日本大学理工学部建築学科で、その当時 教えを乞うた近江榮師ゼミナールの先輩であり、現同大学教授になられた矢代眞己氏からお声掛けをいただいたのがきっかけです。身に余る光栄ですが「建築」を教えてくださった故近江榮先生をはじめとするお世話になった師の皆様への恩返しと思って務めています。
30年前に住み通ったキャンパス
卒業した日本大学理工学部建築学科は4年の通学のうち、1年生が千葉県の船橋校舎(当時は習志野校舎と呼ばれていました)、2・3・4年を東京お茶の水の駿河台校舎で学びます。
下宿
私が1年生のときは交通の便が悪く、自宅横浜から通い切れないことから、校舎近くの下宿から通いました。校舎敷地の北側が下宿街と言ってよいほど日大生ばかりの区域で「坪井町」と言います。
授業の前にその坪井町に立ち寄り、当時住んでいた下宿建物があるかどうか見て来ました。すると区域の様相は変わっていて学生アパート街から住宅街へとなっていましたが、当時の下宿建物は未だありました。
30年前にお世話になった下宿が、カタチそのままにあったことは、言葉にはなりませんでしたが感慨深いものがありました。
新しく駅が出来た
船橋校舎で変わった大きな点は、当時の最寄り駅はキャンパスの西側方面に徒歩で10分ほど歩く距離にありますが、今はキャンパスの北側直近に東葉高速鉄道「船橋日大前」駅が出来たことです。
「船橋日大前駅」で下車し、地上に立ったときは見たことのない方向からの風景でしたので、別世界に見えました。
滑走路があるキャンパス
理工学部には航空宇宙学科という専攻があり、船橋校舎の中には飛行機用滑走路があります。滑空の無いときは学生はこの滑走路を横切って駅と校舎を往来します。
2016年の「鳥人間コンテスト」では、理工学部航空研究会のメーヴェ33号 パイロット 航空宇宙工学科3年 山﨑駿矢さんが優勝されています。
http://www.cst.nihon-u.ac.jp/news/2016/09/01001441.html
既存の校舎
生徒さん達が学ぶ(私が通い始めたころに完成した)(佐賀和光氏設計)校舎も当時そのままでしたが、30年振りに訪れたときの記憶は薄く「このような校舎だったかな」という感想でした。
科学の研究者の名前が付いた食堂もそのままでした。金額もそれほど変わっていないような気がしました。
出会いで変わる人生
私の学生時代に受けた教えは、出会った恩師の皆様からいただいたものばかりです。逆に師の皆様に出会わなければ何も無かったと言っても過言ではないくらいに、受けた影響は多大です。
この場で言葉で説明するのは簡単ではありませんが、それまで単に功利的に建てられた「建物」と洗練されたデザインの『建築』との区別を知らない私が、その『建築』の存在に触れたのが大学生2年生のときでした。こんな『建築』の世界があったのかと気付かされ、『建築』の魅力にのめり込んで行きました。その最初の扉を開けて下さったのが、設計製図の授業で非常勤講師として教鞭を取られていた水谷碩之先生でした。
それまで一方的に与えられた知識を暗記し、それを試験と称して出された問題用紙に覚えた知識を埋められた量で測られていたのに対し、自分で考え悩み、自分の手で図面を描き模型を作り、自分の設計を自由に表現すると言った方法にのめり込んだのです。
設計製図の授業
自分が育てられたときの記憶を遡って、自分を導いて下さった先生方を想いながら、今度は自分がその立場になれるのか?を問いながら、先生達に教わったことをそのまま伝えようと決めて、毎週火曜日、横浜から船橋習志野に通うことになりました。
建築の設計製図の授業は、ある想定の実際ある敷地と、建物の用途と、規模面積の条件が与えられて、その中で自身の自由な発想で建物を計画設計し、図面を描いて模型を作り表現するものです。
いきなり答えを出すのではなく、毎週自分の考えたことをスケッチや図面、模型で表現して持参し、1対1で講師に説明しながら講師の意見を聞いて作り上げて行く授業です。夏までの前期期間4ヶ月で2つの課題が出されます。
30年前に師に教わったこと
生徒さん達が考えて来る建物の内容に助言アドバイスをするのは当然のことですが、私は私が学生のときに先生方からいただいた格言的教えを、授業の中で散りばめて皆に伝えようと思いました。
「創造は模倣から始まる」
『建築』に触れ始め、学びを始めたときには、何も知りません。沢山の良き事例がある中でとにもかくにもその良い『建築』を知って吸収することが大事なはじめの一歩です。そのような中で自分のオリジナルなものを考え出すことも大事ですが、良いものに触れ、良いものを真似ることは、建築設計の向上には欠かせないとどなたもおっしゃいました。
「創造は模倣から始まる」実際の建築界でも常に行われていることで、それは決して「パクリ」や「コピーペースト」ではありません。良き建築作品を学び吸収し昇華させていく方法です。音楽のクラシックで、譜面は同じでそれを演奏者なりの表現でオリジナルな演奏として聴く、というと判り易いかもしれません。
具体的には生徒さんに対し、生徒さんが考えて来た案に近い建築を紹介して、すぐに図書館へ行って書籍を探してもらい、写真で紹介して自分と同じような考えや表現や設計や建築があることを見てもらい、解説し、何かヒントになるものを感じてもらうことにしています。
「3時に銀行のシャッターは下りる」
学生時代は宿題を忘れても、持参すべき教科書や道具を忘れても、先生から注意されて「次回は忘れない」ことを念を押されて反省すれば済みました。しかし大人の世界ではその様には済まされません。依頼された内容を忘れたり、時間に遅れることがあれば、次回からは依頼されなくなります。
1分でも、一つでも、提出するものについて欠けていればそれは原点でなく0点であることを教えてくれた格言でした。
「3時に銀行のシャッターは下りる」学生さんの甘えを取り除かないといけないと教えられました。
「徹夜なんかしていません」
課題を提出した当日は、学生さん達は課題を描いたり模型を作ったので皆睡眠不足で、直ぐにでも帰宅し寝床に飛び込みたい気持ちです。(自分もそうでしたから気持ちはよく判っているつもりです)髪はボサボサで、服もだらしなく、アクビばかりしています。
それが大人社会になったとき、設計事務所で言うならば、建主様に自分の考えたモノを提出し説明して了承を得る大事なプレゼンテーションの日になります。そんな時は、例え3日間徹夜していても、身なりを整え、タップリと睡眠を摂って来たような身振りでお客様に会わねばならない「徹夜を感じさせてはならない」とゲキを飛ばされました。
実際そのような場面は、社会に出て出会うことになりますが、お客様の安心をいただくための態度を感じてもらえばと思いました。
「カ・カタ・カタチ」
自分の考えた案や計画建物が形(カタチ)になるには、はじめに「カ」があり、次に「カタ」があり、最後に「カタチ」になる、と説明されました。
はじめに言われたとき、何のことだかさっぱり判りませんでしたが、計画に対する設計主旨=コンセプト(全く形は無い状態)を「カ」と言い、これがしっかりしていないとどんなに形を考えて行っても良い「カタ」にならないという意味でした。
建物の設計主旨=コンセプト「カ」に沿って出来た大まかな形が「カタ」であり、具体的に言えばどの場所にどんな機能の部屋が集まっていて、どの階に積まれているかという程度のものです。入口の場所くらいは定まっても良いかもしれません。
そしてその「カタ」が定まって「カタチ」になります。「カタチ」が格好悪かったり美しくなかった場合は、一度壊して「カタ」に戻り再度違う「カタチ」が作れるという、考え方の方法でした。
実際の設計業務ではこの検討を不断に行っているので、明確に「カ・カタ・カタチ」が見える訳ではありませんが、実際にこのカタやカタチが沢山考えられた建物ほど、皆の満足を得る建築になると感じています。
課題の提出と評価
前期4ヶ月間で2度の課題提出がありました。生徒さん達にとっては始めてのことばかり(鉄筋コンクリート構造や公共建築の設計)で、面食らったことばかりだったと思います。どんなに情報が溢れていると言われていても、初めて触れるものは何も分からないし、詳細に内容を伝える時間もない中で、見よう見まねでもカタチにしてくるのは優秀と思いました。
図面と模型の表現
世の中が情報がどんなにデジタル化されても、コンピューターによる図面作成が主流になっても、2年生の前期課題はパソコンによる作図は許されず、手書きもしくはインクペン描き+印刷という方法が求められました。
手書きによる図面の濃淡や太さ細さで3次元のものを2次元の紙の中で表現することを身体で覚えてもらうために、行っている方法です。また全てのものを一つ一つその手で何度も描くための、自分の身体の調整、時間配分、段取りを考える機会とするためでもありました。
この手書きの作業を上達していると、パソコンによる図面作成の習得も早く表現も飛躍的に素晴らしくなるからです。
模型の作製も、コンピューターグラフィックス(CG)による完成予想図=パースが便利になりましたが、立体的な寸法=奥行き感や高さを身体で感じる手法を取りも直さず身に付けておくことは大変重要で、CGによるパースではその立体的寸法感覚を見失うことがあるので、許されるなら実社会でも模型が作られることを望みます。
人を評価すること
生徒さん達が創った作品全てを講師達は全て評価します。私にとっては他人の作品を評価しなければならない人生で初めての経験でした。
もちろん自分も同様の年代に同じような作品とも言えない図面と模型を作りました。それを記憶の傍らに片付けて見始めましたが、はじめどうして良いか判りませんでした。幸い、事務局先生が評価の方法を細分化して下さっていて、あらかじめ用意された枠の中で細分化して評価する方法に、我に返りました。
よく見れば見るほど、生徒さん達が理解に結びついていないことによる苦悩が図面から伝わって来ます。どうやって表現して良いか分からないまま時間が過ぎてしまっただろうと思える図面が多かったように思えました。図面を単純に描いていないのではなく、分からない、知らない、けれども何かしなければいけないことは分かっている、講師として充分に伝え切っていない反省がそこにありました。
2度目の課題提出になると、そこそこ苦悩は取り払われていて、解消されて発展している状況が良く読み取れました。成長が見えたのです。意味成長が鈍化している自分からするとそれだけでも心が躍りました。さらなる飛躍を期待してしまいます。
人生初の4ヶ月間の非常勤講師の経験でしたが、後期の授業を迎える期待感と緊張感で終えました。生徒さん達はこの夏休みでさらに成長して大きくなって来るでしょうから、自分もさらに勉強して臨みたいと思いました。
そして「建築大好き人間を創り出す」という近江榮先生の目標をずっと続けて行きたいと思っております。どうしたらそんな人を導けるか、未だ未だ勉強は続きます。
5年間の非常勤講師を終えて
2017年4月に始まった設計製図の非常勤講師の授業担当は、2021年までの5年を経て終了になりました。
2020年から始まってしまった新型コロナウィルス感染拡大の影響で、設計製図の授業もリモートによる授業もありました。
5年間を通じた感想は、「建築の魅力」を学生皆様に理解していただくには如何に難しいことか を痛感したことでした。
設計製図の授業は、それまでの小中高と知識を身体に埋め込んで行く仕組みから、自らの知識と発想を組み合わせて 課せられた問題に対して自分なりの考えを投げかけて さらに具体的な提案をするという、180度 真逆の応答方式になる訳です。
問題に答える方式から、自ら問題を作りそれに答えて建築(立体的な表現)にするという方式への転換は、学生皆さんもその方式に慣れるのに戸惑っている状況を多々見て来ました。
しかしこの転換を理解してくださらないと、「設計」という新たにモノを生み出す所作を理解できないので、只管 説明することに努めました。
それでも私からの拙い説明を受けて、学生皆様の態度が少しづつ変わっていく様子と、学生皆様の自由な発想に目から鱗が落ちることも多々あり、講師冥利に尽きる何とも表せられないワクワク期待感がありました。
果たして私の担いが全うされたかは定かではありませんが、多少でも「建築の魅力」を感じて下さった方が育ってくれたとして、校舎を跡にしました。
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